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中川 大輔(なかがわ だいすけ、1968年7月13日 - )は、将棋棋士。米長邦雄永世棋聖門下。棋士番号は184。宮城県仙台市出身。日本将棋連盟理事(2007年5月-2011年12月, 2013年6月-) == 棋歴 == 1982年、第7回中学生名人戦で優勝。その翌年に奨励会で指し始める。第1回三段リーグで13勝3敗の成績を挙げ、プロ入り(四段昇段)する。そのときのもう一人の昇段者は、同門の先崎学であった。以来、順位戦では毎年安定して好成績を残す。B級1組に初昇級するまでの15年間において、9勝1敗が1回、8勝2敗と7勝3敗が各々6回であり、次点に泣いた期が3度あった。 第11回(1988年度)若獅子戦で、棋戦初優勝。第20回(1989年度)新人王戦で準優勝。 第45回(1995年度)NHK杯戦では、七冠王となったばかりの羽生善治と決勝で戦う。得意の右玉戦法で羽生に立ち向かった。敗れて準優勝に終わったが、それから間もない頃、NHKテレビに出演した際、「羽生を相手にして力いっぱい指した。今年度一番の対局。」と感想を語った。 1997年、竜王戦で1組に初昇級。決勝トーナメント出場経験が一度もない棋士の1組昇級は史上初である。 第57期(1998年度)B級2組順位戦の第9回戦で藤井猛竜王(当時)に2つ目の黒星をつけ、先崎のB級1組昇級をアシストした。自らのB級1組昇級は、その4年後であった。 第41期(2000年度)王位戦でリーグ入り。タイトル経験者3名(丸山忠久、郷田真隆、南芳一)に勝利して3勝2敗とするが、同星の郷田(前期から残留)との順位差に泣き、リーグ残留ならず。 第11期(2003年度)銀河戦の決勝トーナメントで羽生善治竜王・名人(当時)、森内俊之らを破り決勝進出。決勝で佐藤康光棋聖(当時)に敗れて準優勝。 第64期(2005年度)B級1組順位戦の最終局は、勝てばA級昇級という一番であったが、深浦康市に敗れて昇級を逃した。 第55期(2007年度)王座戦で、渡辺明竜王(当時)を下してベスト8進出。 第57期(2009年度)王座戦で、高橋道雄、阿久津主税、谷川浩司、森下卓、藤井猛を破り、挑戦者決定戦まで進むが、山崎隆之に敗れ、初のタイトル挑戦を逃す。 2010年度、日本将棋連盟理事の仕事をこなす中、第69期B級2組順位戦で昇級争いトップ(8勝1敗)の状態で最終局の対畠山成幸戦を迎える(畠山にとっては、勝てば降級点を消せるという一局)。結果、中川は敗れ、昇級争いのライバルが勝ったため、逆転昇級を許してしまった。 2011年12月9日、公式戦通算600勝(将棋栄誉賞)を達成〔日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「中川大輔八段が600勝(将棋栄誉賞)を達成! 」〕。 2011年12月21日、一身上の都合により、日本将棋連盟理事を辞任。のち、連盟会長であった師匠米長邦雄の死去後の『将棋世界』追悼号(2013年3月号)に追悼文を寄せ、米長の晩年は師弟関係が絶縁状態だったことを記した。2013年6月7日、将棋連盟理事改選により再び理事に就任する〔日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「日本将棋連盟新役員のお知らせ 」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中川大輔 (棋士)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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